私より先に逝くなんて…
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/eb9895aef95f039f2b7e841fc856dcc8/1442131055?w=450&h=253)
ママの事は頼んだよ…
■■■ みんたん闘病記 その7<回想> ■■■
もうご飯も食べていなかったのに、お水も自分で飲めなくなっていたのに
亡くなる前日までみんたんにとって辛い投薬を続けた事を悔やんでいます…
もう助からないのであれば、嫌な事なんて一切しないで
最後の日々を心安らかに過ごさせてあげれば良かった…
亡くなる前の最後の2日間くらいは、もう抱き上げてもイヤイヤをする元気も無く
力無く抱かれるままになっていたのに…
でもね、もう少し新しいお薬を飲み続ければ
奇跡が起こってみんたんが回復するんじゃないかって
どうしても諦めきれなかった…
時間は戻せないし、みんたんはもう戻って来ないし
たらればは無いと解ってはいるのですが。
みんたんが亡くなったのは15日の土曜日。
前回の記事にも書きましたが、ちょうど私の仕事がお休みの日でした。
少し前まではまだまだみんたんは頑張ってくれると思っていたので
気分転換に映画でも観ようかとジュラシックワールドの指定券を取っていたのですが
当日は朝からみんたんの様子がもう予断を許さない状態になっていたので
もちろん映画どころでは無くチケットは無駄になってしまいました。
夫は数日前からお盆休みで新潟に帰省していたのですが
「みんたん行ってくるよ~、元気になると良いな~」と
みんたんに声を掛けている姿を見て
もうこの人はみんたんには会えないかもしれないな…と思っている私が居ました。
その悪い予感が当たってみんたんは夫の帰省中に亡くなってしまったのですが
電話を掛けて「みんたん死んじゃった…」と言ったきり
言葉も無く泣き続ける私を心配して、予定を切り上げてその晩帰って来てくれました。
みんたんが亡くなった後も、かなり長い間亡骸を胸に抱いていたのですが
そうだ、死後硬直する前に棺に納めやすい姿に綺麗に整えてあげなくては…と思い
苦しくて見開いてしまったお目目を優しく優しく撫でて閉じさせ
新しい綺麗なタオルで躰を包み、枕を入れて頭の位置を固定し
優しい可愛いお顔になるように丁寧に丁寧に撫でながら表情も整えてあげました。
そして、皆が居るリビングのソファの上にみんたんの躰を横たえた後
今考えてもちょっと自分でオカシイと言うか
それって今やる事?という行動をしていたのですが
みんたんは死んじゃったからもう使わないんだ…と酸素室と酸素濃縮器を
物凄く冷静に片付けて、レンタル業者に返送する為のパッキングまで済ませ
みんたんのカリカリのお皿やお水のお皿も、もうみんたんは死んじゃったから
要らないんだ…と粛々と片付けるという作業をしていました。
今冷静になって考えれば、みんたんはついさっき亡くなったばかりなのに
その痕跡をどんどん片付けてしまうなんてなんだか冷たい様な気がするのですが
たぶんその時は、何か体を動かしていないと悲しみの渦に飲み込まれてしまいそうで
居ても立ってもいられなかったのだと思います…
ママの事は頼んだよ…
■■■ みんたん闘病記 その7<回想> ■■■
もうご飯も食べていなかったのに、お水も自分で飲めなくなっていたのに
亡くなる前日までみんたんにとって辛い投薬を続けた事を悔やんでいます…
もう助からないのであれば、嫌な事なんて一切しないで
最後の日々を心安らかに過ごさせてあげれば良かった…
亡くなる前の最後の2日間くらいは、もう抱き上げてもイヤイヤをする元気も無く
力無く抱かれるままになっていたのに…
でもね、もう少し新しいお薬を飲み続ければ
奇跡が起こってみんたんが回復するんじゃないかって
どうしても諦めきれなかった…
時間は戻せないし、みんたんはもう戻って来ないし
たらればは無いと解ってはいるのですが。
みんたんが亡くなったのは15日の土曜日。
前回の記事にも書きましたが、ちょうど私の仕事がお休みの日でした。
少し前まではまだまだみんたんは頑張ってくれると思っていたので
気分転換に映画でも観ようかとジュラシックワールドの指定券を取っていたのですが
当日は朝からみんたんの様子がもう予断を許さない状態になっていたので
もちろん映画どころでは無くチケットは無駄になってしまいました。
夫は数日前からお盆休みで新潟に帰省していたのですが
「みんたん行ってくるよ~、元気になると良いな~」と
みんたんに声を掛けている姿を見て
もうこの人はみんたんには会えないかもしれないな…と思っている私が居ました。
その悪い予感が当たってみんたんは夫の帰省中に亡くなってしまったのですが
電話を掛けて「みんたん死んじゃった…」と言ったきり
言葉も無く泣き続ける私を心配して、予定を切り上げてその晩帰って来てくれました。
みんたんが亡くなった後も、かなり長い間亡骸を胸に抱いていたのですが
そうだ、死後硬直する前に棺に納めやすい姿に綺麗に整えてあげなくては…と思い
苦しくて見開いてしまったお目目を優しく優しく撫でて閉じさせ
新しい綺麗なタオルで躰を包み、枕を入れて頭の位置を固定し
優しい可愛いお顔になるように丁寧に丁寧に撫でながら表情も整えてあげました。
そして、皆が居るリビングのソファの上にみんたんの躰を横たえた後
今考えてもちょっと自分でオカシイと言うか
それって今やる事?という行動をしていたのですが
みんたんは死んじゃったからもう使わないんだ…と酸素室と酸素濃縮器を
物凄く冷静に片付けて、レンタル業者に返送する為のパッキングまで済ませ
みんたんのカリカリのお皿やお水のお皿も、もうみんたんは死んじゃったから
要らないんだ…と粛々と片付けるという作業をしていました。
今冷静になって考えれば、みんたんはついさっき亡くなったばかりなのに
その痕跡をどんどん片付けてしまうなんてなんだか冷たい様な気がするのですが
たぶんその時は、何か体を動かしていないと悲しみの渦に飲み込まれてしまいそうで
居ても立ってもいられなかったのだと思います…
ボクもう動けないよ…
■■■ みんたん闘病記 その6<回想> ■■■
抗真菌剤は、けっこうな大きさの楕円形の錠剤で
その時のみんたんの体重だと1日あたりその錠剤の2/3の量が必要でした。
1/3に割った(それでもけっこうな大きさの)錠剤を
一度に2錠飲ませなければいけなかったのですが
先生が少しでも飲みやすい様にと、両端の丸いところばかりを選んで
渡してくれました。
体力も抵抗力も落ちているのでこの上他の細菌に感染しない様に抗生剤と
食欲が少しでも出る様に食欲増進剤も続ける事にしたので
亡くなる前日の夜まで朝晩2錠ずつお薬を飲ませ続けていましたが
たぶん最後の1週間はほぼご飯は食べておらず
そのうちお水を自分で飲む事も出来なくなってしまいました。
飲みたくなったらいつでもお水を飲める様にと
酸素室の片隅に小皿に入れたお水を入れてあったのですが
亡くなる当日の朝、みんたんが身じろぎをした拍子に
小皿のお水をこぼしてしまったらしくバスタオルが濡れてしまったので
みんたんをそっと抱き上げ綺麗なバスタオルに交換してあげました。
そしてみんたんを酸素室に戻した直後の事でした…
大量に失禁し、呼吸困難の状態になってしまったのです。
慌てて酸素濃縮器の濃度を最高レベルまで上げ
直接チューブをみんたんの口元にあてがったところ
しばらくして少し呼吸は落ち着いたのですが
もう体に力が入らないらしく酸素室の床に横たわったままとなり
浅い呼吸を繰り返しているだけで頭を上げる力も残っていない様でした…
この後はみんたんの最後の様子なので
辛いと思われる方は無理に読まないで下さいね…
お外に出ると苦しいんだ…
■■■ みんたん闘病記 その5<回想> ■■■
上の写真は8月11日に撮影したものなので
みんたんが亡くなる4日前です。
前回の 闘病記 その4 は7月30日なのでその12日後という事になります。
この間、以下の様な事がありました…
準備した酸素室に自分で入ってくれる様になったと喜んでいたのですが
その後あまり時間を置かずしてもっと大きな収納ケースに引っ越しする事に。
エアコンは常時稼働しているものの、酸素濃縮器の発する熱もあり
体温が40℃近くある生き物が狭い箱に入っていると室内温度が高くなりがちなので
タオルにくるんだアイスノンを酸素室内に入れる様にした事と
みんたんの状態が悪化してすぐに息が上がってしまう為
外から猫ドアを使って酸素室内に戻る時突き当りでクルリと向きを変える事無く
すぐその場で伸びた状態でへたり込んでしまうので
猫ドアが完全に閉まらない(酸素が逃げてしまう)事が多くなってしまったので
最初の酸素室では手狭になったと判断したからです。
同じ収納ケースのもっと大きいサイズのものをホームセンターで購入し
また私が猫ドアや酸素チューブの穴等を造作したのですが
2度目だったので、とてもスムーズに綺麗に出来ました^^
みんたんも新しい大きくなった酸素室にすぐに入ってくれましたが
もうその頃には殆ど酸素室から出られなくなっていました…
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処方されていた制吐剤と食欲増進剤が体に合ったのか
7/26以来嘔吐は一度も無く、一時期食欲も回復しほんの少し体重も増えましたが
それも長くは続きませんでした…
ウィルス性肺炎の治療を開始してから丁度1ヶ月の8月9日の診察で
2週間ぶりにレントゲン撮影したところ肺の白い影はむしろ濃く広がっており
まったく治療の効果は無かったという事が解りました。
この時点で、セカンドオピニオンからウィルス性肺炎の治療をしてもらっていた
担当医からは、もう体に負担が掛かる効果の無い投薬は止めて
緩和ケアに移るべき時であるとの説明を受けました。
でも、どうしてもまだ諦めたく無かった私達は
もう本当に出来る事は無いのか?一縷の望みを捨て切れず
翌8月10日にもとのかかりつけの獣医さんに再度相談に行きました…
(もともと治療に不満があった訳では無かったですしね。)
きっとこの時、先生はほんの少しでも可能性があるならなんでもしたい
という私たちの気持ちに応えようとして下さったのだと思います。
同じ肺炎でもウィルスを原因とするものでは無く真菌を原因とするものだった場合
効く薬が全く違うので、可能性は低いけれども抗真菌薬を試してみますか?
と提案をしてくれました。
そして私たちは藁にも縋る思いで抗真菌薬をみんたんに飲ませるという
選択をしてしまったのでした…
早いものでみんたんが亡くなってから2週間も経ってしまいました…
8月18日にみんたんの躰をお空に返して来たのですが
奇しくも4年前にくろたんが亡くなった命日でありました。
くろたんが迎えに来てくれて、二人で一緒にお空に帰ったなら
寂しくなかったかな…?
棺の中をお花でいっぱいにしたのですが
真夏のベランダに健気にほんの少しだけ咲いていたクレマチスも
幸せに過ごしたベランダガーデンの思い出に入れてあげました。
このところ少し仕事上の悩み事もあったりして
みんたんが居ればどんなにストレスが溜まっていても
抱っこしてモフモフのお腹に顔を埋めるだけで心が癒されたのに
もうみんたんは居ないんだと思うと辛くて切なくて涙が止まらなくなります…
もちろん日常生活はちゃんと送っているし
先週は毎年楽しみにしている情熱大陸ライブにも行きました。
もう気持ちは落ち着いたと思っていたのですが
今日この記事をupしようと写真を見たりしていたら
やっぱりみんたんが恋しくて…
あんなに暑かった夏だったのに、急に秋の気配が早足でやって来ました。
時間はどんどん目の前を流れて行って
悲しい気持ちも少しずつ流されて薄まって行くのでしょうか…
Plofile
Author : shimeji
猫とクレマチスを愛するワーキング主婦。
東京湾岸・運河沿いのマンションに夫と猫と共に生息。四半世紀ぶりに再開した弓道の稽古にいそしんでいます^^
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にゃんずの紹介
しめたん★長女★サビ
1999年5月、当時の職場近くの路上で弱っているところを保護(推定生後1ヶ月)。我が家のファーストキャットとなりました。本当はもっと甘えたいのに素直になれないツンデレ・クールなしめたんです。2012年に乳腺腫瘍摘出手術を受けました。2016年に再発し再手術。
★2017.10.18 乳腺腫瘍の再発&老衰でお星さまに… 自宅で穏やかな余生を送り、亡くなる当日まで自分でおトイレに行く誇り高きにゃんこでした。
みんたん★長男★茶トラ
2001年5月、自宅マンション敷地内で保護(推定生後1週間)。シリンジで3時間毎にミルクを与え、排泄をさせて育てました。優しくて甘えん坊、茶トラらしい天真爛漫な男の子です。
★2015.8.15 肺疾患(確定診断は受けていません)による呼吸不全でお星様に… 辛い治療とQOLについて深く考えさせられました。
くろたん★次女★黒猫
2004年11月、外猫ボランティアさんより里親として引き取る(推定1歳半)。FIV陽性で慢性の口内炎を患っていますが、獣医さんと協力して発症しない様に精一杯ケアしています。とっても優しくて甘えん坊。カナリアの様な可愛い声で鳴きます。
★2011.8.18 「急性動脈血栓塞栓症」でお星様に… 今でも大切な家族です。
小雪★三女★白猫
2009年6月、自宅近くのホームセンター駐車場で保護(推定5ヶ月)。先天性の重度の難聴と思われますが、日常生活にはまったく問題無く毎日元気に走り回っています。真っ白な体に青い瞳でとても美しい猫ですが、女の子とは思えない暴れん坊将軍w
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